鷲尾翼のブログ

【エッセイ】#41『復讐心/デス・プルーフ in グラインドハウス』

  先日、許せなく悔しい出来事があった。

  ここでは話さないが、喜怒哀楽をその一日で全部感じた日だった。その原因はクソみたいな奴で、このクソみたいな奴のクソみたいな話をここで愚痴愚痴言うと、自分にそのクソみたいな部分が移りそうなので、ここでは言わない。

  しかし、言わないという決断は厄介で、愚痴を話せるほど親しい友人がいれば、ここまで長引かないだろう。そんな人は僕の周りには当然いない。そのため、消化不良のまま、悔しさが体を飲み込まれないように、今必死に堪えている状態だ。

  そして、今考えていることは「復讐」だ。

 

    強すぎる復讐心は「悲劇の主人公」になってしまう。

  「許せないっ!」という気持ちは、化膿した傷口のようにジワジワと体を蝕み、次第に自分を傷つけた人や社会に対する「復讐」と変わる。その復讐を成功するために、映画のような綿密で隙だらけな計画を考え、長い時間を費やして、自分を悲劇の主人公だと酔い惚れる。

  僕もあの悔しい出来事の直後は全てを憎んだ。映画のような悲劇の主人公に憧れ、今その悲劇を味わっていると思い、その行動力と将来を復讐に捧げようと思った。

 

    しかし、復讐に燃える気持ちは、良い部分もある。

  「許せないっ!」という叫びたくなるほどの野心は、夢を持つ人にとってはエネルギーになる。今の時代、表舞台の輝きより、それまでの泥水を啜った長い下積み時代のエピソードが共感を呼び、評価されている。「あちこちオードリー」が代表的な番組だろう。

  僕も不思議なことに、あれほど悔しい出来事があった後、今の音楽業や文筆業、芸術について深く考えた。それまでの日々は決まった時間に決まったことをする変化の少ない時間の過ごし方をしていたと少し後悔した。「僕にとっての音楽とは…」「文筆とは…」と久々に深く考え、またひとつ自分の活動を見直し、少しずつ成長をしている、と思う。

 

  僕の好きな言葉で「今の悲劇は、10年後の笑い話になる」がある。

  この言葉は人生を諦め、隙あれば死のうと思った高校生の頃。図書館で読んだ今では全然覚えてない本に書いてあった言葉だ。その言葉を知った直後は何となく頭の片隅に置いてたが、文筆業を含む今の活動は「過去」を語るのがほとんどだ。

  実際、あの頃の地獄は笑い話になり、野心になっている。

 

  そして、今まで自分を馬鹿にしてきた奴らに大勝利したときは、思いっきり喜ぼう。

 

f:id:washitsuba:20211210082025j:plain

 

【本日の映画】

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:カート・ラッセル、ヴァネッサ・フェルリト、ゾーイ・ベルなど
制作:2007
映画オタクとして知られるクエンティン・タランティーノ監督が、リスペクトする1970年代から80年代のB級ホラーにオマージュを捧げたエキセントリック・ムービー。グラインドハウスとは、低予算のB級映画ばかりを2、3本立てで上映する映画館の総称で、グラインドハウス映画特有の傷やブレ、リールのダブりもあえて再現した。

 

【関連記事】