鷲尾翼のブログ

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【エッセイ】#31『隠しきれない狂気/時計じかけのオレンジ」

  人間、誰しも怒りや嫉妬、妬みや恨み、悲しみや苦しみに身を任せてしまう狂気を持っている。

 

  僕は今、狂気に満ちている。

  自分でも良くないモチベーションだと思うが、一日生きていればとにかく噛みつき、イライラしてしまう。夜勤のバイト終わった帰り道にふらっとコンビニに入ったチャラい見た目のカップルを見ると「何してんだよっ!」と心の中で自分勝手に怒ってしまう。しかし、声に出してしまうと劣勢の末、警察にお世話になってしまうので、グッと堪えて真っ直ぐ家に帰る。

 

  帰宅後も狂っている。

  息抜きのYouTubeで急上昇になっている動画を確認すると、学生時代のトラウマを思い出すような陽キャラが大半を占めていて、僕の居場所がどんどん無くなっている現状や社会が求めているエンタメの姿を知ってしまい、家の中でも笑顔は消え、ため息と共に怒りと悲しみに狂う。

  そして、狂いながら飯を食い、狂いながら風呂に入り、狂いながら寝る。

 

  勝手に人に噛みつき、勝手にイライラして、勝手に悲しんで、勝手に狂っている僕に足りないのは、純粋無垢な優しい感情、ただそれだけだ。しかし、今の僕には優しさすら、狂気に変えてしまう。

  テレビでも誰にでも優しく接しているタレントや、街を歩けば優しい人は意外と多い。だが、僕はそんな人にすら勝手に奥でグッと堪えている怒りや悲しみ、その狂気を見抜き、目の前の優しさを切り裂いて、狂気を吸い取ってしまう。

 

  そんな僕だが、なぜか周りには「優しい」と言われる。

  その言葉を時に信じて、自分の優しさを試しているが、やっぱり狂っている。それは何故かと考えてみると、狂気を行動のエネルギーにしていないからだ。

  よくニュースでは様々な事件が頻繁に起こっているが、加害者の言葉の多くに「イライラして」という衝動をよく見る。きっと世間を賑わす物騒な事件を起こす加害者は狂気に満ちた僕と同類だ。

 

  そう思うと、僕が言われる「優しい」という言葉にも別の疑いがある。

  僕が気づいてないだけで、周りから見たら狂気が外に滲み出てる状態だが、危険性はない。そんな僕にかける言葉は「優しい」というありきたりな褒め言葉しかないのだ。

 

  その事実を知った今、また狂気が込み上げる。

 

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【本日の映画】

監督・脚本:スタンリー・キューブリック
出演:マルコム・マクダウェル、パトリック・マギー、マイケル・ベイツなど
制作:1971

暴力やセックスなど、欲望の限りを尽くす荒廃した自由放任と、管理された全体主義社会とのジレンマを描いた、サタイア(風刺)的作品。近未来を舞台設定にしているが、あくまでも普遍的な社会をモチーフにしており、映像化作品ではキューブリックの大胆さと繊細さによって、人間の持つ非人間性を悪の舞踊劇ともいうべき作品に昇華させている。

 

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