鷲尾翼のブログ

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【エッセイ】#19『天才という称号/ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』

 世の中には「天才」と呼ばれる人がいる。

 学問の天才、スポーツの天才、芸術の天才…数多とあるジャンルには、第一線で活躍する人がいる。

 天才と呼ばれる人もまたそれぞれで、幼い頃から努力を積み重ねて活躍する人もいれば、天性の才能、そのカリスマ性で自然と「天才」と呼ばれてしまう人もいる。

 人は「天才」と言う称号に憧れる。

 人からそう呼ばれたいがために、各々限りある時間を割いて他の人より勉強したり練習したりする。僕もそのひとりだが、天才を追うごとにあることに気づいた。

 それは、天才とは、努力や才能の他に「知名度」が重要だと言うことだ。

 

 例えば、「○○検定1級」みたいな取ることが難しい資格や、免許、憧れてた楽器を弾くことは、実は時間とお金さえあれば案外難しいことではない。

 才能に関しては、その人を表すもので、正解がない。なので優劣の差がついてしまうが、努力をすればその人にしか生み出せない個性となり、武器になる。

 しかし、これらを表に出さなければ、無意味だ。

 

 僕は、自分を表現することが苦手だ。

 音楽家、文筆家、芸術家と三足の草鞋を掲げながら活動をしているが、実際はそれらを自信を持って活動をしていない。

 こうやって文筆業はしているが、芸術家と語れるほど作品を生み出していない。特に音楽業は自作曲をここ何年も作ってないし、ライブも出たことがない。また、メディアで活躍している天才に触れる機会も多いので、自分の才能の無さに日々落ち込んでしまう。

 

 音楽業と芸術業を疎かにしている分、僕は趣味の映画鑑賞から、映画感想の執筆とラジオブログを頻繁に投稿している。

 これを音楽家がやることなのか、芸術家がやることなのか。きっと間違っているとは思うが、今の僕にはこれが精一杯なのだ。

 

 しかし、現状僕は知名度が少ない。

 SNSのフォロワー数は平均で80も満たない。テレビでは自分より年下の人が活躍している。そういうカリスマ性のある人はSNSのフォロワー数も何万人、何十万人がいる。羨ましい。

 

 このままの僕は、才能と努力を積み上げたままボロボロになって死ぬだろう。死んだ後に自分の枯れた才能を認められて、天才と呼ばれるのは皮肉だが、それでも嬉しい。

 天才とは、知名度が無ければ、唯一無二の存在でも滅んでしまう他者評価に過ぎない。

 

 なんか、生きづらいね。

 

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【本日の映画】
制作:2001
テネンバウム家の3人の子供たちは、長男はビジネスマンとして、長女は作家として、次男はテニス・プレイヤーとして10代のうちに成功し、天才児と呼ばれていた。しかしそれから20年後、彼等はそれぞれ問題を抱えていた。そんな時、死期が近いという父親の呼びかけで一緒に暮らすことになる。
 
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