鷲尾翼のブログ

【エッセイ】#70『芸術』

 僕は音楽家であり、文筆家であり、「画家」である。

 しかし、最近画家という職業に疑問を持ち始めている。

 

 僕の画家としての活動は現在、月に一度「TSUKISUE」と題して、月末にその月に思ったことや感じたことを絵に表し、SNSに公開する活動をしている。

 定期的に絵を描いていると、自分の絵の変化に気づく。

 

 自分で手抜きだなと思う部分もあるし、うまく表現出来ないことがほとんどだ。しかし、駄作を公開しているわけではない。描いていると「これでOK!」と思える終着点が突然訪れる。

 僕の経験上、上手くいかなければいかないほど色や形、色んなものを足そうとする。そうすると、絵全体の完成度はもちろん、伝えたいメッセージも失ってしまう。

 なので、描いている途中で満足したら、そこで手を止める。

 そのため、僕の絵はシンプルな半面、僕自身、手抜きに感じてしまう。

 

 そんな時に、ふと思った。

 僕が求めている芸術は「アート」ではなく、「デザイン」なのではと。

 

 街を歩けば、目につくもののほとんどはデザイナーが手掛けた広告だ。ビルの屋上にあるバカでかい広告も、本の表紙も、CDのジャケットもデザインだ。

 それに加えて、色や形のバランス、フォントもデザインの一部だ。

 

 どの広告もシンプルな色使いや言葉使いで伝えたいメッセージを伝えている。僕もそのひとりだと感じてしまった。

 だが、僕はデザイナーではなく、画家なのだ。

 

 そもそも、なぜ僕は「画家」という職業にこだわるのか。

 まず、シンプルな理由としてカタカナ職業が嫌いというのがある。音楽家、文筆家、画家という職業も正直、「ミュージシャン」「エッセイスト」「アーティスト」とカタカナ職業に変換出来てしまう。

 もちろん、カタカナ職業を全否定するわけでもないし、カタカナ職業の人を毛嫌いしているわけでもないのだが、「ミュージシャンの鷲尾翼です。」より「音楽家の鷲尾翼です。」の方が凛と胸を張れる。

 

 そして、絵を描くことが好きだからだ。

 この数分間「なぜ絵を描くのか」という疑問を論理的に解決しようとしたが、結局それに尽きる。

 

 しかし、ある職業に憧れを持ち始めてしまった。

 それが、「芸術家」だ。

 

 この間、TBSで放送されていた「クレイジージャーニー」の篠原有司男回の録画をたまたま見て改めて「芸術」について深く考え、この場でも悩んでいる。

 彼自身、「前衛芸術家」と肩書きを持ち、様々な過激でパンクなアート作品を世に生み出し続けている。「ボクシング・ペインティング」などが彼の代表作だ。

 当時の僕は「芸術=絵」という概念が無意識にあったせいか、「芸術家」ではなく「画家」という肩書きを何となく選んだ。なので、当然のように絵を描き、絵で伝えたいメッセージを表現していた。

 

 しかし、彼は代表作「ボクシング・ペインティング」のほかにも、段ボールを使ったアート作品や、粘土細工まで「描く」という概念なんかどこにもなかった。

 そのときに、自分がなぜ3つの肩書きを持って活動をしているのかが我ながら理解することがあった。

 

 僕の行っている活動は全て「芸術」という言葉で収まる。

 「音楽家」も、作曲で表現する芸術、楽器を演奏する芸術を生み出している。

 「文筆家」も、執筆する技術、それを文法や言葉遣いなどの芸に落とし込むひとつの芸術だ。

 そして、「画家」は、音楽や文筆では表せない色や形、視覚的表現を表す芸術だ。

 

 「芸術は爆発だ

 今まで何度聴いた言葉が、どこか心の拠り所にも感じる。

 

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