鷲尾翼のブログ

【エッセイ】#50『「ありがとう」の力』

 僕は比較的感謝されることは少ない。

 自分から言うのも何だが、僕は他の人に比べて優しい。反抗期を迎えたことがほとんどないし、例え怒りが満ちても人前で怒鳴ることはない。仕事も返事ひとつでせかせかとやって少しでも相手に嫌な気持ちにさせないように生きてきた。

 そのせいか相手からしたら「あいつは出来て当たり前」というレッテルを貼られていると思うことがある。

 

 例えば、物を取りに行ったとする。すると相手からは「よし。」これだけだ。まるで飼い犬みたいじゃないか。けど、その気持ち、発言も否定できない。

 誰かの奴隷のように、嫌な顔を見せないように、文句も言わないように生きてきた。そりゃ、飼い犬みたいだな。

 

 そんな毎日を過ごしながら夜勤のバイトをやっていて、いつものように他人の目を気にしながら働いていると、ある頼みごとをされた。

 頼みごとをした人は60代のベテランパートさん。僕にちょっかいをかけてくる愛くるしい存在だ。そんなパートさんに、内容は覚えてないがいつものように依頼をこなした。

 すると、こう言われた。「ありがとう。」

 

 なぜかあの時、あの瞬間の「ありがとう」が無性に心に染みた。多分、今まで飼い犬の面をしていたときも「ありがとう」と言われたはずだが、なぜか記憶に残ってない。

 けど、あの「ありがとう」は言葉のイントネーション、声色、音程も含めて今までで一番好きな「ありがとう」だった。

 こうやってしっかり覚えているからこうやって文章を書ける嬉しさも感謝だ。

 

 この出来事をきっかけに「『ありがとう』の力」について考えるようになった。

 僕も普段から「ありがとう」と言うことがあるが、振り返ってみるとかなり無意識に言っていたと思う。

 

 相手に頼みごとをする。

 相手が依頼事をこなして戻ってくる。

 「ありがとう」と言う。

 

 このテンプレートが体に染みこんでいるせいか、「ありがとう」の力が発揮されていない。よく使うシチュエーションがレジ会計の時。

 レシートとお釣りを受け取るときに「ありがと~うございま~す」と店を出るように歩きながら発するときもあるが、自分のあいさつに「~」を使っている時点で最悪だ・

 

 そう考えると、あの「最高の『ありがとう』」はどういう力だったのか。

 あの時の「ありがとう」は、決して力んでいない。むしろ、フラットに発していたと思う。

 確かに「100%のありがとう」は嫌だ。歯茎むき出しで目玉が飛び出そうな感謝は恐怖だ。じゃあ、「何%のありがとう」がいいのか。

 僕の経験と理想も含めて「75%のありがとう」が最高だ。

 

 高すぎても恐怖、低過ぎたら相手の記憶に残らない。絶妙なバランスが75%だと思う。あのベテランパートさんは巧みに75%を操る感謝の師匠だ。

 これからも「あの『ありがとう』」を目指して、人に、レジ会計のときに75%の感謝を心がけよう。

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