鷲尾翼のブログ

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【エヴァ考察】「破」で振り返る葛城ミサトの妊娠経歴

 西暦2021年3月8日。

 2度の延期を乗り越えて『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以後、シン・エヴァ)が公開されました。

 

※ここから先は「シン・エヴァ」のネタバレ込みで感想・考察をしていくのでご了承を。

 

 

「シン・エヴァ」の感想

 2回観たのですが、最高です!

 前半の第3村の微笑ましい日常から、NERVvsWILLEの大決戦、各キャラクターがそれぞれ大活躍していて心の底から「ありがとう」と言いたくなる終劇でした。

 個人的にエヴァのスタートがテレビで放送されてた旧劇からだったので、後半の展開はずっと激アツ展開で興奮しっぱなしでした!

 

新事実から生まれた考察

 「シン・エヴァ」の中で印象的だった新事実が、葛城ミサトと加地リョウジとの間に子供が生まれていたこと。

 

 ここでひとつの疑問が生まれた。

 「ニアサードインパクトがいつ起こったのか」

 

 ストーリーを振り返ると、初めてエヴァンゲリオン初号機が対戦した第4使徒が登場するのが「セカンドインパクトから15年後」

 新劇場版では主に具体的な時期が説明されていない。

 また、エヴァンゲリオンの世界観は四季が存在せず、常夏状態という設定なので外観から時期を把握するのは困難。

 

  通常、妊婦が出産にかかるまでの時期が「10か月」と言われているので、「あの時葛城ミサトが妊娠何か月だったのか」「加地リョウジ(子供)は何月生まれなのか」も同時に判明するかもしれない。


 ※今回の考察は主に「新劇場版」の時系列を参考にしていきます。

「破」を振り返る

 ということで「ニアサードインパクトが発生した」「加地リョウジが初登場」した「エヴァンゲリオン新劇場版:破」を気になったシーンをメモしてみました。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

  • 発売日: 2009/06/27
  • メディア: Prime Video
 

 

※太字は重要なシーン

1:08 加地リョウジとマリが会話

2:04 加地リョウジが初めて画面に登場

7:47 葛城ミサト登場

12:45 碇シンジと加地リョウジが初対面

 駅のシーン「たった2年離れただけで…」

14:46 加地リョウジと葛城ミサトが初対面

17:07 葛城ミサト、飲酒

17:35 アスカの裸を見たシンジに蹴りを入れたシーンで2015年1月の配列に似たカレンダーを発見

19:59 葛城ミサト、飲酒(2回目)

42:28 葛城ミサトと加地リョウジの2ショットシーン(昼休憩)

48:57 シンジと加地リョウジの畑のシーン

1:01:07 葛城ミサトと加地リョウジの2ショットシーン(居酒屋)

1:08:17 エヴァ3号機が第9の使徒に変貌

1:16:55 葛城ミサトと加地リョウジの2ショットシーン(救急車)

1:25:22 第10の使徒登場

1:40:30 葛城ミサト「行きなさい、シンジ君」

1:43:57 加地リョウジ、最後のシーン

 

 簡単に「破」をまとめましたが、今回の考察で特に重要なシーンが「2015年1月のカレンダー」「畑のシーン」です。

 

2015年1月のカレンダー

 「2015年1月のカレンダー」に関しては、曜日と日数の配列がピッタリで12日(月)が祝日(成人の日)だったので、ほぼ確定。

 ですが、葛城ミサトのズボラな性格やNERVの非常勤務状況からカレンダーをめくっていると思えないのでここでは「年数」を考察の資料に。

 ということで「セカンドインパクトから15年後」の謎がここで判明しました。

 

【「カレンダーのシーン」での考察】

畑のシーン

 加地リョウジはシンジにこう話してました。

 

※一部抜粋

 「何かを作る、何かを育てるってのは、いいぞ」

 「葛城を守ってくれ」

 「俺に出来ない、キミにしか出来ないことだ。頼む」

 

 畑のシーンでは主に「育てる」ということを軸に話してるのが印象的です。

 今回の考察を踏まえるとここで葛城ミサトが妊娠していることを知って覚悟を決めていた」と考えるのが妥当でしょう。ここから子作りをするのは難しいセリフですし。

 

 また育ててる作物が「スイカ」なのも割と重要です。

 スイカは種まきから収穫まで約3〜4か月かかる野菜です。

 「破」のセリフから日本に来るのが2年ぶりということと、元々一面見渡す限りの立派な畑を所持していることから、加地リョウジは農業が趣味で、日本から帰国したタイミングでスイカの種をまいて、シンジと収穫をしたシーンだと推測できます。

    また、映像に映るスイカのサイズが大玉が多いことから「4ヶ月」の月日が流れていると思われます。

 そう考えると「破」の時系列をこう推測できます。

 

【「畑のシーン」での考察】

  •  碇シンジと加地リョウジが初対面した時期は『序』の日時経過も踏まえて『1月下旬』と推測
  •  そこから畑のシーンまで4か月経過しているので『5月下旬』

 

葛城ミサトの妊娠時期

 では、葛城ミサトはニアサードインパクトの時、妊娠何か月だったのか。

 妊娠検査薬で妊娠が発覚するまでは生理にもよるが、簡単に言えば「SEXした日+3週間程」で着床の可能性を知ることが出来ます。


 「破」のシーンで言うと、葛城ミサトと加地リョウジが昼休憩で2ショットのシーンがあります。このころから葛城ミサトが加地リョウジの見る目が変わって、葛城ミサトが頬を赤くしています。

 となると、「昼休憩のシーン」辺りで愛し合い、「畑のシーン」まで少なくとも3週間経過していると考えられます。

 

    しかし「加持リョウジ(子供)はニアサードインパクトの年に生まれた」という条件があるので、遅くても「昼休憩のシーン」は3月中旬でなければいけません。

  「畑のシーン」から「第10の使徒」までの日数、加持リョウジ(子供)がニアサードインパクトの年に生まれたことを踏まえると「妊娠2〜3か月(4週〜11週目)」いわゆる「妊娠初期」というところが妥当でしょう。

 

考察結果

 ということで、今回の考察で次のことが考えられます。

 

  •  ニアサードインパクトの発生時期は「2015年5月下旬」
  •  葛城ミサトは「妊娠2〜3か月(4週〜11週目)」
  •  加地リョウジ(子供)は「12月中旬〜下旬生まれ」

 

    「エヴァンゲリオン」という作品で「冬」は重要な季節です。

    コミックス版の最終巻の表紙は雪が降る中、碇シンジがコートを羽織って歩いている姿が描かれています。

    また、今回の考察で「加持リョウジ(子供)がクリスマス生まれ」の可能性も浮上してきました。これはヤバいですね!

 

 しかし、そう考えると葛城ミサトはつわりで体調が良くない中、第9の使徒による大爆発に巻き込まれ、包帯グルグル巻きで第10の使徒と戦っていたと思うと、少し心配してしまいます。

 

    余談ですが、5か月の間に7体の使徒と戦っていると思うと、単純計算で「半月に一回」のペースでエヴァンゲリオンが発進しています。

 

最後に

 テレビアニメ版で加地リョウジは葛城ミサトにこんな留守電を残しています。

 

ーーーーー

第弐拾壱話「ネルフ、誕生」より

 葛城、俺だ。

 たぶんこの話を聞いてるときは君に多大な迷惑をかけたあとだと思う。

 すまない。

 リッちゃんにも「すまない」と謝っといてくれ。

 

 あと、迷惑ついでに俺の育てていた花がある。

 俺の代わりに水をやってくれると、うれしい。

 場所はシンジ君が知ってる。

 

 葛城、真実は君と共にある。

 迷わず進んでくれ。

 

 もし、もう一度会えることがあったら8年前に言えなかった言葉を言うよ。

 

 じゃあ。

ーーーーー

 

 きっとあの時、加地リョウジは葛城ミサトに「新劇場版」という形でもう一度会い、「8年前に言えなかったこと」を言えた形だと思います。

 そして、我々も「新劇場版エヴァンゲリオン:Q」から8年後に公開された「シン・エヴァ」で8年前に言えなかった「ありがとう」が言えました。

 

 ありがとう、全てのエヴァンゲリオン

【エッセイ】#08『愛してる/バッファロー'66』

 音楽家としての表現のひとつにこんな言葉がある。

 

 「愛してる」

 

 文章にすると恥ずかしいが、歌にすると意味も込めて相手に伝えられる愛情表現のひとつだ。

 しかし、この愛してるという言葉は言わば、動詞だ。

 寝ている、食べている、読んでいる、走ってるなど「○○している」という動詞の文法で愛を表現していることで、数多くのミュージシャンが頭を悩ませた。

 

 ある人は「『愛してる』という言葉は普段使わないから、歌詞には使わない」という。

 ある人は「『愛してる』という言葉は今でも分からないが、あえて使っている」という。

 ある人は「愛という言葉は真心、恋という言葉には下心」という

 

 僕も「愛してる」という言葉は使わないようにしている。その理由に「愛してる」より「恋してる」の方が動詞だからだ。

 

 恋は、言わば衝動に近い。

 その人を思って発する言葉や行動は、散々映画で2時間たっぷり描かれている。その実らせていく工程は、衝動という言葉にふさわしい動詞のひとつだ。

 それに比べて「愛」という言葉から生まれるエネルギーがよく分からない。男女が結びつく過程が「恋」だとしたら、ひとつのゴールテープを切った状態の関係性はあの頃の再確認でしかない。

 

 ある老夫婦が仲良く話したり、笑っていたりする姿を見たとする。

 それを見ている僕たちも、笑いあっている老夫婦もそれが「恋」なのか「愛」なのか誰も証明できない。

 そう考えると「恋愛」という言葉は、意味のない言葉だ。

 

 僕の中で決着がつきそうなとき、この言葉を思い出した。

 

 「I Love you」

 

 振り出しに戻された気分だ。単純に和訳すると「私はあなたを愛してる」になることがますます悩ましい。

 確かに彼氏を「ボーイフレンド」、彼女を「ガールフレンド」とカップルという関係性の中に「友達」という意識があるし、恋という概念も日本人特有なのかもしれない。

 そう考えると「I Love you」を使う日本人のミュージシャンは、音楽性に合わせて使っていると思うが、どこか意味も知らず使っている安直な部分も感じてしまう。

 悩んだ挙句、ひとつの結論に辿り着いた。

 

 「愛してる」という言葉は、日本ならではの古き良き言葉だ。

 その言葉を聞けたときは、素直に喜ぼう。

 

 ただし「愛してる」と平気でベラベラ言ったり、ゲームのように使う奴らには要注意だ。

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【本日の映画】

バッファロー'66 [DVD]

バッファロー'66 [DVD]

  • 発売日: 2014/03/28
  • メディア: DVD
 

監督・脚本:ヴィンセント・ギャロ
出演:ヴィンセント・ギャロクリスティーナ・リッチなど
制作:1998
ヴィンセント・ギャロを一躍スターダムに押し上げたラブ・ストーリー。愛を知らないアナーキーな男と、彼に惹かれる女の寡黙な愛を描く。グレーを基調にしたビジュアルや独特のスロー描写など、他に類を見ないアーティスティックな作風が見もの。

 

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【エッセイ】#07『逆を進む/インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』

 僕は割とつまらない人間だ。

 起きる時間、寝る時間は毎度違えど、1週間と大きく捉えた場合、何曜日に何かをやることは決まってくる。火曜日と金曜日は洗濯と掃除の日、木曜日は筋トレ、金曜日は映画館に足を運ぶ。

 普段生きていくうえでは何も感じないが、ある程度ルーティーン化すると、たまに予想外のスケジュールで過ごす一日はどこかワクワクする。

 

 ある日、何も予定が無い日が突然出来てしまった。

 家事もしなくていい、いつも通り映画やYouTube、録画していたバラエティ番組をダラダラ消費するのも、どこかつまらない。

 その日は、どこからか漲る行動力の消費に悩まされた。

 

 とりあえず、動きたい。

 そう思って軽く着替えて、外に出たものの目的地を定めていない。しばらく考えた末、目的地を決めずにとりあえず歩くことにした。

 歩いて、歩いて、気づいたらいつも通りの道で駅まで向かっていた。なんてつまらない人間なんだ。仕方なくその場で立ちすくみ、僕はあるルールを設けた。

 

 「逆を意識する」

 

 普段歩いている道も必ず、分かれ道がある。それを意識するだけでいつも通りの景色が大きく変わる。

 左を右に、右を左に、何も考えずに進んでいくと、未体験な出来事に遭遇する。

 自動販売機や街灯の位置など普段何気ない日常の景色の中にある物も全然違うように見える。そして、何より人と天気が不思議な違和感を感じるほど変わっていく。

 

 服装やカバン、自転車通勤なのか徒歩なのか、老若男女の比率など、ただ単純に朝だからサラリーマンが多いとか夕方だから買い物袋が片手にあるとかではない、その場所での人の動きをすれ違うたびに感じた。

 また、天気も不思議と変わっていた。

 今まで曇りだったのに晴れになったとかではなく、肌で感じる温度や風があるところでジワッと汗をかいたり、急に寒く感じたりした。ただ単純に天候が予報通りに変わったかもしれないが、スピリチュアル的な感覚で不思議な時間を過ごした。

 

 それからしばらく歩いて、ある川に辿り着いた。

 心地いい風になびく雑草、穏やかに流れる川のせせらぎにしばらく感じてなかった癒しをもらえた。ふと周りを見ると、こんな自然豊かな場所を何気なく歩いているおばあちゃんがいた。

 きっと僕がルーティーンのように感じていた日々を、あのおばあちゃんはこの場所で感じているのだろう。そう思うと、景色が変わらないことはある時のきっかけでもあり、残酷な一面もある。

 

 その日の帰り道、僕は何気ない日常に嫌悪感を感じた。

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【本日の映画】
制作:1984
「レイダース/失われたアーク」に続くシリーズ第2弾。とは言っても舞台設定は前作の1年前、1935年の上海。暗黒街の組織の策略にはめられたインディは飛行機から脱出、インドの山奥に降り立つ。
 
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【エッセイ】#06『何かを失って、何かを得る/ベルリン・天使の詩』

 「何かを失って、何かを得る」


 人間が生きているうえで意識していても、していなくても起こってしまう人生のメカニズムだ。

 「記憶力」がその一例だ。頭の中を本棚として、記憶を本とする。新しい本を本棚に入れたいが、本棚にはその隙間がない。ましてや本の厚みや大きさも不揃いだ。

 こういうときに古い記憶を捨てなければいけない。また、そもそも新しい記憶そのものを忘れてしまうのも一つの手段だ。

 記憶の循環の末、次第に本棚の耐久性が無くなり、どんどん脆く崩れてしまい、記憶というものが限りあるものになってしまう。

 

 僕はよく周りの人間と比較をしてしまう。しかも、その対象はテレビや雑誌、様々なメディアで紹介されている「天才」と称される人間と比較してしまう。

 当然だが、僕は劣等だ。なので比較をして思うことは「僕には○○という能力や技術が無い」とないものねだりをしてしまうばかりだ。

 こんなことをするのは精神的にも肉体的にも悲劇を生むと知っていながらも無意識に比較をしてしまう哀れな人間だ。

 言わば、何かを失って、何も得ていない状態だ。

 

 しかし、僕にもちょっとした希望がある。

 色々失ってきたが、唯一機転となるものが欠落している。それは、人間関係だ。

 

 僕の人間関係は無に等しい。

 恋人も友達もいない。何か困ったことがあっても相談できる人もいないので、ネットや本で自己解決をすることが大半だ。

 しかし、友人や恋人がいない分、様々なメリットがある。

 友人と朝まで飲んだり、恋人と一日中デートしたり、何気ない長電話で時間が過ぎていったりと、自然と「時間」と「お金」が消えていく。

 その分僕らはその時間を、そのお金を自分のために使える。僕の場合、音楽のために、絵を描くために、映画を観たり、こうやってエッセイを書くために使っている。

 

 言わば「自己投資」だ。

 音楽や映画、本や芸術などの娯楽は腐ることはない。見れば見るほど経験値として自分の糧となり、新しい形を生み出している。

 しかも、その経験値はゲームの裏技のような短時間で都合のいいものではない。長い時間をかけて積み上げた者しか見えない景色がある。その人にしか出来ないことがある。

 なので、僕は友人がいなくても、恋人がいなくても、どこか楽しく生きている。

 

 僕は人間関係を失って、未来を得ている。

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【本日の映画】
ベルリン・天使の詩 (字幕版)

ベルリン・天使の詩 (字幕版)

  • 発売日: 2015/01/22
  • メディア: Prime Video
 

監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース

出演:ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ドマルタン、オットー・サンダーなど

制作:1987

守護天使ダミエルは、長い歴史を天使として見届け、人間のあらゆるドラマを寄り添うように見守った。だが、親友カシエルに「永遠の生命を放棄し、人間になりたい」と打ち明ける。

 

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【エッセイ】#05『老舗の定食屋/レオン』

 ある日、僕は映画館で映画を観た帰りにふと見かけた定食屋を見かけた。見た目から昔ながらの老舗と分かるぐらい風情のある外観に興味を惹かれた。

 いつもだったら向かいの牛丼屋に行くのが、今回は何かの縁だ。

 僕はその老舗の定食屋の暖簾をくぐった。

 

 店に入って気づいたが、僕は初見の店が苦手だった。

 チェーン店だったらネットでメニューを調べて、店に入ったらそれを頼めばいい。しかし、事前情報も何もない、しかも敷居がどこか高い老舗の店となると、どこに座ればいいのかも少し緊張してしまう。

 

 ガラガラと店に入ると、マスクをした60-70代のおばあちゃんが「ひとりですか?」「こちらへどうぞ」と優しく接してくれた。孤独で人間関係に飢えていた僕にとってはこの僅かな優しさにも、ほっこりとした温かさを感じる。

 

 しかし、僕の関門はまだ超えていない。

 そう、メニューだ。

 

 パッとメニューを見ると、ズラッと並ぶ明朝体に軽く動揺してしまった。自分が食べたいものも何も分からないがとりあえずメニューを小説のように黙読するしかなかった。

 そろそろ「第4章 ドリンク」と物語も終盤に迫っているところに、あのおばあちゃんがそっと近づいてくれた。僕は思わず「あの、すみません。オススメってなんですか?」と聞くと、メニューに書いてある定食を上からひとつずつ説明してくれた。

 「この定食はお昼時の常連さんがよく頼んでくれるんです」「けど、若い人だったらこれかな」と自分の見た目や心情も踏まえて色々考えてくれた。

 気付いたら、軽い談笑が混じるくらいほっこりした時間を過ごしていた。僕は軽やかな気持ちで生姜焼き定食を注文した。

 

 無事に食事も終え、会計していると、あのおばあちゃんからこんなことを告げられた。

 「この店、もうすぐ閉めちゃうのよね」

 

 突然の別れに何も言えなくなった。近年のコロナの影響や年齢の限界などを踏まえての閉店とのこと。しかも、僕が足を運んだ日が閉店の5日前で、今この文章を書いているときにはもうシャッターが閉まっていると思うと、後悔に滲む。

 お釣りを受け取り、後は店を出るだけだが、僕はどんな言葉をかけていいのか分からなかった。迷った挙句、咄嗟に「またどこかで」と言ってしまった。

 言ってすぐに後悔した。何故か気取ってダサくて、胡散臭い。素直に「美味しかったです」と言えばよかった。

 

 軽く反省していると、おばあちゃんはその言葉に対して接客言葉ではなく、優しく「またどこかで」と返してくれた。

 

 またひとり、理想の大人と出会ってしまった。

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【本日の映画】
レオン 完全版 (字幕版)

レオン 完全版 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

監督・脚本:リュック・ベッソン

制作:1994
ニキータ」のリュック・ベッソンが初めてアメリカで製作したバイオレンス・アクション。ニューヨークを舞台に、凄腕の殺し屋レオンと12歳の少女マチルダの純愛と戦いを描く。
 
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【エッセイ】#04『トラブルメーカー/ドゥ・ザ・ライト・シング』

 僕は根っからのトラブルメーカーだ。

 話している相手が気付かぬ内にイライラしていたり、人間関係がどんどん悪くなっていることが多い。加えてトラブルに鈍感なのが尚、苦行だ。

 

 しかし、身近なところに解決策はある。

 一番手っ取り早いのは、自分が苛立つ原因を反映すればいい。

 

 僕が苛立つ瞬間は、複雑で単純だ。

 人間関係では第一印象を重要視することが多い。なので、第一印象が悪いとその人とはしばらく疎遠になる。加えて、その人が自分が苦手な性格だった場合、嫌悪感を覚え苛立ち始める。

 そんな判断基準で過ごしていたら、ある結論に辿り着いた。

 

 「自分が苛立つを覚える人は、自分に似ている人だ。」

 

 相手をよく見ると、仕草や話し方がどこか似ている瞬間がある。その似ていると思う瞬間が多ければ多いほど、僕は関係性を絶ちたい。

 それと同時に鏡合わせで自分の悪いところを見せられているようで、辛い。なので、最近の人間関係は喧嘩別れというより、僕から距離を置くことが多い。

 その結果、「孤独」や「寂しい」という言葉を乱用する末路を迎える。

 

 「FUCK!」

 

 突然、この言葉を耳にしたら大多数は不快な気持ちになると思う。言葉自体の意味を調べると卑猥で横暴な意味がト書きで並べられている。しかし、映画を観ていると頻繁に出てくる。

 その違いを調べてみると、少し面白い。

 

 映画の中での「FUCK」は、一般的な和訳は「クソッ!」と表記されるときがあるが、聞き馴染みがない日本語で少し違和感を感じる。

 僕が思うに「FUCK=チクショー!」だ。

    その「チクショー」が訛って「クソッ!」になったと考えると作品のキャラクター、個性と捉えられる。そう考えると、コウメ太夫サミュエル・L・ジャクソンに並ぶマザーファッカーの名手だ。

 

 一見、不快なものでも「知ること」は大事だ。

 駄作と言われている映画も、世界史の名前だけの大事件も、今現在起こっている世界の危機も、SNSで流れてきた簡単な言葉でベラベラ語ってはいけない。

 自分の口で発するのであれば、大人でも勉強して、自分の見解も踏まえた上で理解しないと世の中は悲しい。

 そして、分からないことは潔く「分かりません」と降参するべきだ。新しく物事を学べるきっかけになる。

 

 そして、もうひとつ。

 

 こういうことを平気でベラベラ喋らない方がいい。

 気づかない内に聞いてくれている相手がイライラし始めるから。

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【本日の映画】
ドゥ・ザ・ライト・シング (字幕版)

ドゥ・ザ・ライト・シング (字幕版)

  • 発売日: 2014/01/01
  • メディア: Prime Video
 

監督・脚本・主演:スパイク・リー

出演:ダニー・アイエロ、オジー・デイヴィス、ルビー・ディーなど
制作:1989
スパイク・リーが脚本・監督・主演を務めた社会派ドラマ。ブルックリンの黒人街ベッドフォード・スタイヴェサントを舞台に、さまざまな人々の日常を追いながら、アメリカ社会が抱える人種問題を描く。
 
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【エッセイ】#03『完璧ではない自由/イントゥ・ザ・ワイルド』

 僕の人生の目標のひとつに「自由」がある。

 生まれて23年と決して人に自慢できる人生ではないが、その多くは自由とはかけ離れた苦しみばかりだった。

 

 今でこそ自由を感じる瞬間は多いが、それまでは誰かの人生を生きているようだった。自分の意見や個性を殺して、誰かが提案した職業や生き方を疑いもなく進んでいたと思う。

 しかし、それは自由ではなく教育でもない。洗脳だ。

 

 そんな洗脳人生も、あるきっかけで気づき、自由を求め始める。

 僕にとってのきっかけは星野源だった。

 

 高校生の卒業間近の昼休み、何気なくYouTubeで聴いた星野源の楽曲に受けて、星野源の生き方に憧れた。僕は今、音楽家、文筆家、芸術家と三足の草鞋で活動しているが、その影響にあるのは紛れもなく彼だ。

 

 それから自由を求め、洗脳から少しずつ逃れるように生きているが、僕は気づいてしまった。「完璧な自由は無い」と。

 

 僕の職業は、規則正しい社会人とは正反対のものだ。

 そのひとつは自由を求めた結果だ。誰かに頼まれたわけでもなく、自分が好きなものを創造し、生み出していく。職業の型すら自由を求めて、三つも抱えている。

 しかし、僕はまだ自由ではない。

 

 では、「完璧な自由」とは何か。

 それは死だ。

 

 死んだ後はその姿や形、その未来も、誰も知らない。

 ある人は幽霊になり、今も生きていると言う。

 ある人は天に召されて、見守っていると言う。

 ある人は地獄に落ちて、今も苦しんでいると言う。

 

 生きている限りストレスのない自由な人生を生きることは出来ない。しかし、近年自ら命を絶つニュースを見る機会も多くなった。

 それは誰にも言えないほど苦しんで、どれだけ生きても辛い不自由な環境に悩み続けたひとつの選択だと思う。

 

 僕は自ら命を絶った人に悲しい言葉を贈らない。

 よく「信じられません」という言葉を捧げる人がいる。しかし、それは主観的な言葉だ。

 だから僕はどんな人でも、どんな形でも、ひとつの人生を終えた意味を込めて「お疲れさま」という言葉を捧げる。

 

 僕の人生は、例え完璧じゃなくても自由に生きたい。

 一度、自由を失った人間の言葉だ。

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【今日の映画】

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

  • 発売日: 2009/02/27
  • メディア: DVD
 

監督・脚本:ショーン・ペン
出演:エミール・ハッシュ、ハル・ホルブルックなど
制作:2007
すべてを捨てアラスカへと放浪の旅へ出た裕福な青年の心の軌跡を描いた人間ドラマ。ショーン・ペンが監督を務め、原作は冒険家ジョン・クラカワー著のノンフィクション小説「荒野へ」。

 

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